一つのことを続けるということ
仕事の中で聞いた70歳を超えるある高齢者の話。
その人は中学卒業後、60年にわたって一つの仕事をし続けてきたとのことでした。
その話を一緒に聞いていた中年の先輩社員があとで言った言葉がなぜか気に留まって。
「何かを継続することは自尊心を高める効果があると思うんだよね。」
私もそう思います。
何であっても長くやり続けてきたことって自然と自信を持てるようになりますよね。
そのことに長い時間を費やしていれば自然と上達してくるもの。
上手くなってくればさらに上手くなろうという意欲も湧いてくる。
得意なことに自信を持つようになるのは当然のことと言えます。
でも今回は継続することで物事が上達する以外の効用について思いついたことをつらつらと。
やればやるほど正比例的に上達し、誰でもプロの域まで達するというわけではありません。長年、一つのことに打ち込み続けてきても夢半ばで諦める人がこの世の大半であると思います。しかし、何か形になるものを残せなかったからといって今までの時間がすべて無駄になるというわけでは絶対にない。その経験というのは必ずその人の人格の形成に影響をもたらしているものです。
私は、小学校から高校までずっと野球をやってきました。幼いころはプロ野球選手を目指していましたが、ある時点で限界を感じ野球で生きていくことは諦めました。でも野球を続けてきたことで無駄だったなーと感じることは一つもありません。野球が私の人生に与えてくれたことは相当大きいです。今でも私が重んじている礼儀正しさや気配りをすることは、チームプレーが求められる野球の経験によるものだと思っています。
それは、進学した時も会社に入った後もどこでも通用する価値観だと感じています。だから私は野球を長く続けられてよかったと思っています。
私の場合、これまでの人生を振り返るとたまたま野球が長く続けていたものでした。
別に野球でなくてもかまいせん。習い事であってもいいでしょう。
それが何であれ継続してきたということだけでも今の自分の糧となっている部分があるはずです。知識やコツが身につけば、ものの見方や振る舞い方がそうでない人と比べた時には違いが生じます。また、同じ時に同じ出来事を経験した人たちがいたとしても、そこから受け取るものは性格やそれまでの生育環境の違いによって異なるはずです。
人はそれぞれ自身のフィルターを通して物事を見て、感じて、考える。そしてそのフィルターは経験を積んでいくその都度、絶えず更新されていく。そのフィルターのことを個性というのかなと思います。だから全く同じ個性の人はいない。何かを継続し学び続けてきた人は、そのフィルターがより強固に明確になるので個性が表に出てきやすくなる。自分なりのものの見方ができることで自信が持て、それが自尊心を高めることにつながるのかなと思います。