こけろうの節約&長期投資ブログ

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20代独身一人暮らし。インデックス投資をやっていますが、基本ほったらかしなので趣味や考えたことの投稿がメインになっています。

とあるアラサーとその周囲の人たちの恋愛観について

コロナ禍で出会いの機会が少ない中でも、私の周りにはマッチングアプリや友だちの紹介を通じて恋人探しをしている友だちが多い。でも、実際に付き合うまで発展する話は非常に少なく、また次の人を探し始めるようになるのがほとんどだ。

 

私自身もそうだが、みんなこの「恋活」に疲弊している。特にマッチングアプリは、出会いのチャンスを手軽に広げられる一方で、それに縛られて費やす時間と気力の多さにうんざりする。メッセージを何度か重ね、ようやく実際に会うことになっても「なんか違うかも…」という結果になるのはよくある話である。

 

ところで疲弊することが分かっているのに、目の前の相手では満足できず、また別の相手探しを繰り返すのはなぜなのか。「なんか違うかも…」の「なんか」とは一体何なのか。

男女含め親しくしている人たちにおける恋愛観・ひいては結婚観というものがどんなものなのかを、私の非常に狭い交友関係の範囲からではあるが、振り返って言語化してみたい気持ちになった。

 

 

20代後半の恋愛観=感覚的なこと+現実的なこと

恋愛関係は好き同士が一緒になることであるので、理屈というよりは感情的・感覚的なことである。

とはいえ「好きになる」という感情にも、ある程度、説明可能な部分が含まれるのではないだろうか。

また20代後半の恋愛にもなると感情的・感覚的なことに加え、結婚生活を見据えた現実的な観点が比重を増してくる。

 

恋愛結婚が当たり前である現代において、20代後半の人が恋人を探そうとすれば、自ずと結婚を意識して相手を選ぶ。今後死ぬまで連れ添う可能性のある相手としてふさわしいと思えるかを、人柄や容姿等の要素をもとに互いを評価し合う。

 

こうした要素は、感覚的なことが大部分を占める。つまり、理屈ではなくフィーリングが合うかどうかに関わっている。自分の好みのタイプであったり、性格の類似点を見出すことを通じて「一緒にいて楽しい」とか「自然体でいられる」といった気持ちが芽生え、「好き」という感情がより強固になっていく。

 

一方でより現実的な観点がある。その一つの指標となり得るのが、お互いの生活水準・様式の近さだ。こうした生活観の似ている者同士の方が、一緒に生活していく上で摩擦の生じる場面が少なく、円満な家庭生活を送れる可能性が高い。

生活観の類似性を評価する具体的な観点としては、金銭感覚、職業、仕事に対する姿勢・考え方、学力などが挙げられる。これらの観点は、結婚後の共同生活を送る上で必要なものであり、その後の人生を決定づける重要なものである。

 

親しい友だちの話から分かる、恋愛に対する共通な態度はこのようなものである。「なんか違うかも…」という結論を、この恋愛観に照らして掘り下げて考えてみると、単純に感覚的に合わないことももちろんあるが、現実的な観点で合わなそうという理由も同じくらい多い。

 

選り好みを加速させるリスク思考

「それはただ、選り好みをしているだけじゃないか」と言われれば何も言えないしその通りだと思う。

だが、現実的な視点で結婚後の生活を見据えようとすればするほど、結婚相手は理想に近いものにならざるを得ない。

その背景にあるのが、リスク思考であると思う。

 

私たちは何事につけてもリスクを想定する思考法が染みついている。現時点で自分がとった選択は、将来的にどんな結果をもたらすのか。どうしたら不利益を最小限に抑えられるか。物事の移り変わるスピードが速い現代において、リスク思考は生きていく上で欠かせない能力だ。

しかし、こと恋愛に関してはこのリスク思考が難しくしている。

 

恋愛、ひいては結婚を希望する上でのリスクを考えてみると、経済的な不安を無視することはできない。

上がらない賃金、雇用の不安定化、老後の生活に関する不安は、毎日のようにメディアやネット上で煽り立てられており、自然と敏感にならざるを得ない。結婚して共に生活をするようになれば、こうしたリスクを二人で引き受けることとなる。

 

また子どもを持ちたいと思えば、より一層リスクは大きくなる。

生まれてくる子どもにはちゃんとした教育を受けさせたい、そのためにはお金が必要で、結婚相手にもなるべく働き続けてもらいたい。仕事と育児の両立が可能な職場であるか、またそのための協力をする意思がありそうか、子どもの教育に対する温度差はどの程度かなど、子育てという大事業を見据えた時に考えるべき要素はたくさんある。

 

こうしたリスクを念頭において相手に会っているとすると、職業、雇用形態、年収などの分かりやすい要素がまず重視される。

数十年後の社会がどうなっているかはもちろん分からないが、現時点で安定かつ不自由のない水準の収入があり、その状態が続くと信じられる(というか信じるしかない)のであれば、リスクの観点に照らせば目の前のその人を選ぶのは悪くない選択かもしれない。

その判断目安として、少なくとも自分と同じくらいの水準の相手を希望することが多いように思える。これが不釣り合いだと、よほど感覚的なところで意気投合しない限り、恋愛関係の発展は見込めない。

 

このようにリスク思考に基づき、経済的観点による一定のスクリーニングをしているのが実際のところではないか。

 

もちろん、相手の良し悪しを決めるのは職業や年収だけではない。最終的には、あらゆるリスクを二人で引き受けつつ乗り越えていけそうか、そのためのすり合わせができる相手かどうかという点の方がもっと重要になってくる。

だがここまでくると一度会うだけでは判断できず、何度か会うことを重ねてゆっくりと理解していくものだ。相手の人間性に関わる深い部分は、言葉遣い、仕事への姿勢、お金の使い方、友だちとの付き合い方などに滲み出てくると思う。

 

そうして価値観の深い部分における相性の良さを確かめ合った延長線上に、結婚があるのではないか。

 

選り好みするのは自分の人生に対して真剣な証

世の中の結婚している男女全員が、このようなリスクを点検した結果として今の結婚生活がある、とは全く思わない。

しかし、自分の経験を含め友だちから聞いた話を改めて振り返ると、上に書いたようなことを気にかけて相手探しを続けているのは間違いない。

と同時に、いつまでも相手を見つけられない最大の理由もここにあると思う。

 

でも裏を返せば、それだけ自分の将来を真剣に考えているということであって、無鉄砲であるよりかは断然いいはずだ。また、自分たちがまだ20代で時間的な余裕があることも大きく、数年後30代半ばになった頃には、それこそ選り好みしていられなくなるだろう。

 

そう考えると失敗続きに見える現状が、実は若さゆえの特権なのではないか、と自分たちを正当化したくなる。

いま私たちに必要なのは、安直に人生のパートナーを選ぶのではなく、じっくり腰を据えて本当に付き合いたいと思える相手を見定めることなのだろう。もちろん、相手があることなのでうまくいかないかもしれないが、それでもへこたれず打席に立ち続け、空振りを重ねていく段階にあるのかもしれない。それはそれでつらいんだけれど。

 

ただ、いくらリスクの色眼鏡でもって相手を見てしまうとしても、最終的に大事なのは二人で乗り越えていきたいと思える相手かどうかに尽きると思う。現実的な思考ばかり働かせて、感覚的な部分が曇ってしまうことのないように打席に立ち続けたい。