こけろうの節約&長期投資ブログ

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20代独身一人暮らし。インデックス投資をやっていますが、基本ほったらかしなので趣味や考えたことの投稿がメインになっています。

大戸屋に来ていた若いご家族の尊すぎる光景と、子育てとスマホについて

昨日はとても素敵な若い家族を見た。

 

私の大好きな大戸屋で晩ご飯を食べていたところ、4人家族が目の前に座った。30代半ばくらいのご夫婦に小学校低学年くらいの女の子と3歳くらいの男の子の4人家族だった。

なんとなく家族全体から品の良さが感じられる一家である。

 

男の子は元気いっぱいでよくしゃべる子だった。時折大きな声を出してしまい、その都度お母さんが大きな声を出さないで、と静かになだめる。私は、子どもはうるさいものだと心得ているつもりなので平気だが、周囲の客に迷惑そうにされるのではないか、とちょっと心配になった。客は私たちの他に4,5組いたが、幸い誰も気にしていないようだ。

 

お父さんはマスク越しでも柔和な印象が伝わってくる。終始、目元に笑みを浮かべ、優しいなまなざしで男の子と女の子の話を聞いている。男の子が、お父さんの持っていた車のキーを手に取り、それを弄びながら何やら一生懸命話している。お父さんはキーを取り上げようとせず、時々声をかけて反応している。

 

私はお父さんの醸し出す余裕のある感じがすごいと思った。これくらいの年齢の働き盛りの男性は、仕事に疲れて家庭では無愛想な人が多いと勝手に思っていたからだ。飲食店に来るたびいろいろな家族を観察していると、だいたいのお父さんはちょっと偉そうだったり、子どもに無関心だったり、家族の話を右から左に聞き流している人が多い。

しかし、このお父さんはしかめっ面など一つせず、常に、にこにこして家族のことを見ている。それに奥さんや子どもたちの話をちゃんと聞いている。家族の話を聞いては、時々声を出して笑ったり、さらに話を促したりしている。その笑みは心の底からのものに感じたし、話を聞いているときはしっかり目を見て聞いている。家族団欒の時間を大切に思っていることが感じられた。

 

普段からこんな風に話を聞いてあげているんだろうか。いやきっとそうに違いない。だって、外に来た時だけ取り繕っているわけではないことは、子どもたちや奥さんの様子を見ていれば分かる。

 

また、余裕を感じさせるのは、姿勢のせいもあっただろう。お父さんは椅子にゆったりともたれかかってはいるが、決してだらしない姿勢というわけではなく、自然な感じでくつろいでいる。

隣を見ると、別の家族の40代くらいのお父さんが、浅く椅子に腰かけ、首の根元付近で背もたれに寄りかかり、だらっとした姿勢でスマホをいじっている。対照的な座り姿勢がすごく印象的だった。

 

一方、お母さんは比較的淡々としている感じで、男の子のくつを脱がせたり、椅子の上に立ち上がろうとする彼をなだめたりしている。男の子が「みてー!」と何かを差し出せば、ちゃんと反応してあげている。あれくらいの年齢の男の子を面倒見るのは毎日本当に大変だろう。それでもお母さんはきれいにお化粧をしており、日々の育児に倦み疲れている感じはしなかった。

男の子の食事が運ばれてくると、お母さんはうどんを冷ましながら彼に食べさせていた。時々「いらない!」と拒否されるも、うまく流して淡々と食べさせている。タイミングをうまく見つけて、自分の食事もちゃんと摂っているのが、さすがお母さんだと思った。夫に話をしたり、男の子に食べさせたり、女の子に話をしたり、男の子に食べさせたりと、全く無駄がないのは私から見たら神業であった。

 

女の子は、食事が運ばれてくる間は静かに待っていて、食事が運ばれてくると行儀よく食べていた。無口でおとなしい性格というわけでもなさそうで、お父さんやお母さんに学校であった出来事を時々話している。食事の取り方や話し方を見ると、何となく賢そうな少女だった。幼い弟に対しても相手をしてあげていて、お父さんやお母さんと一緒になって反応してあげている。

 

一家の食事が終わり、お母さんが一つのお盆に4人分の食器を集めた。4人そろって手を合わせて「ごちそうさまでした」と言ってから、店を出ていった。

私は、この家族がちゃんと「ごちそうさまでした」を言うに違いないと思っていた。こういう些細なことを日常的にやっているから、育ちの良さが感じられるのかもしれない。

 

あの一家を見ていたのはほんの30分程度であったが、そんな短時間であっても、温かで笑顔あふれる幸せそうな家族だったとはっきり感じられた。私もあんな家庭を築けたらいいなと、心の底から思った。

 

 

あの家族を見ていて思ったのは、幸せそうな家族は、コミュニケーションを取るのがうまいということだった。お互いに話をしたり、聞いたりするのがしっかりできている。それは当たり前のことかもしれないが、意外にできていない家族が多いのではないかと感じている。その理由は、スマホにある。食事を待つ間は各々がスマホをいじって会話がない、という場面をけっこう多く目にしないだろうか。子どもにスマホを与え、動画を見させている場面もよく見る。

すると、必然的に会話の量が減り、家族同士の関心が弱まってしまうのではないだろうか。

 

といっても私は、スマホを見たり、子どもに貸す親たちを批判したいわけではない。ちゃんとルールを決めてスマホを使っている家庭は多いはずだし、私がたまたま目にした一場面だけでその家族を批判するのはあまりに乱暴すぎる。日常的にいつでもスマホに頼るのはさすがに良くないとは思うものの、外にお出かけしたときくらい親御さんたちだって息抜きしたいに決まっている。私は育児の経験がないが、いざ自分が親になったときにはスマホで子どものご機嫌を取っていることだろう。

 

だからこそあの一家、特にご夫婦はすごいと思った。食事が来る間も、食事をしている間もスマホをいじることなく、自然に会話が続き、時々みんな一緒になって笑う。そういう光景が、私にとって実は当たり前ではないように感じられ、それゆえに幸せな家族と映ったのだと思う。

 

子どもには、大好きな両親に自分のことを見て欲しい・話を聞いて欲しいという根源的な欲求があるのだと思う。あの女の子と男の子を見ていてそれを感じたし、実際に私が幼い頃もそうだったと感じる。その欲求に対して親がどれだけ向き合ってあげられるかが、子どもの成長に影響すると想像する。

絶え間なく話かけてくる子どもに対して、親がどれだけ面倒くさがらずに相手をしてあげられるか。親だってずっと子どもの相手をしていれば、うんざりしてくるし、一人にしてくれと思っても不思議ではない。そんな時、現代においてはスマホという便利で頼りになる、強い誘惑がある。スマホを見せるのは良くないこと、と心のうちでは思っていても背に腹は代えられない。しばらく動画を見ておとなしくしてもらおう…。

こんな葛藤を抱えながら、子育てしている自分が目に浮かぶ。特に気にしない親なら問題ないだろうが、世の中にはこうした葛藤や罪悪感と戦いながら子育てしている親御さんが多いのではないだろうか。

 

 

ネットの世界では、子育ての苦労や社会の風当たりの強さなど、どちらかというとネガティブな話をよく見かける。その影響のせいか、そういう目でリアルの家族を見てしまうものだから、「俺に子育てなんてできるのか?」と思わずにはいられない。自分だけが失敗の責任を負うならまだしも、パートナーや子どもの人生に関わると思うと、リスクが大きすぎる。子どもを持たないという選択をする人が増えるのも頷ける。

それでも、昨日のような家族団らんの光景を目にすると、やっぱり家族っていいなと思える。私はできれば子どもが欲しいと思うし、それが叶うのなら昨日のご家族のような笑顔の絶えない家庭を築きたい。私の心をも温かくしてくれるような貴重な光景を見せてくれたあの一家に、勝手にお礼を言いたい。

 

と、あれこれ考えたり、感じたりしながら、チキンカツ2倍定食を1人美味しく食べていた。自分が温かい家庭を築きたいことは分かった。でもその前に「結婚」である。あの一家にとっては何気ない日常のひと時が、私の胸にこんなに響いてきたのは、結婚という大きな問題のせいに違いない。