こけろうの節約&長期投資ブログ

こけろうの節約&長期投資ブログ

20代独身一人暮らし。インデックス投資をやっていますが、基本ほったらかしなので趣味や考えたことの投稿がメインになっています。

お金以外の資産を積み上げていくこと

将来の生活に必要なお金のことを考えていると、不安の裏返しで貯蓄を少しでも増やそうと、つい必要な支出を渋ってしまうことがある。しかしお金さえあれば、本当に充実した生活を送ることができるのだろうか?

ところで、先日1年半ぶりに祖母に会いに行ってみると、祖母は「お金以外の大切なこと」をしっかり手にしているように思えた。

 

 

十分なお金があったとしても?

私は老後の生活資金を確保するためインデックス投資で長期・分散・積立投資を始め、今年で6年目になる。いろいろと調べるうちに、理論上はそれなりにまとまった資産を築けることが分かったので、何も備えていない人よりその不安は小さいと思う。

 

しかし、お金さえあれば豊かな老後が過ごせるとも思えない。充実した時間を過ごすためには、家族や友人との良好な関係、没頭できる趣味といったものが不可欠だと思う。確かにお金はあればあるほど選択肢が増えていくことに間違いないが、その使い道を自分で持ち合わせていないとしたらただの数字である。ネットの世界で、ひたすらお金を貯めまくることが目的化していそうな人を見かけると、そのお金を将来どうするつもりなのかを訊きたくなる。もちろん実際には訊かないし、その興味は一瞬で無くなるんだけど。

 

対して、私の祖母は裕福とは言えないものの、多様な趣味と豊かな人間関係のおかげでとても生き生きと暮らしている。昨年祖父を亡くしたばかりにもかかわらず、80歳の祖母は毎日楽しく元気に過ごしているようだった。

 

多様な趣味と人間関係に恵まれている祖母

祖母は若い頃からタップダンスをしていた。部屋の壁には大会の時の写真が何枚か飾られている。古い人には珍しく海外旅行にたくさん行っていた。これまで何ヶ国行ったことがあるのか訊いたところ、「知らん」との回答。それほどたくさんの国に行っていたのだろう。英語を話せないのに、よくそんなに海外旅行に行っていたなと思う。お金がないので必要な荷物だけをバッグに詰め、ふらっと出かけていくので、義理の母に家出したのかと勘違いされたこともあったようだ。

 

さすがに高齢になってからは海外旅行に行かなくなり、現在は友人と近くの駅スタジオでやるダンス教室に週2で通っている。最初はストレッチだけのはずが、最近では経験を買われてダンスもやっているという。帰りにドトールでパンとコーヒーのセットを食べるのも楽しみの一つだ。

ストレッチに行かない日は、適当な布を買ってきてクッションカバーやソファーカバーを作っている。その時家にある布を組み合わせて作るので、同じ柄や配色のものはできない。その割に、統一感のあるデザインで仕上がっているところにセンスを感じる。たぶんメルカリとかに出品すればちゃんと売れるくらいの出来栄えだ。

 

私と話している最中に、祖母の携帯に電話がかかってきた。どうやら友人からの間違い電話だったようだ。ひとしきり楽しそうに話して祖母は電話を切った。その様子を見て、普段からこうして友だちと連絡することが多いんだろうなという感じがした。

 

祖父を亡くして一人暮らしになった今でも、祖母は生き生きと暮らしているように見えた。決して経済的に裕福ではない。祖母と祖父は自営業だったから、今は国民年金だけで生計をやりくりしているはずだし、昔から蓄えはそう多くないと母からは聞いている。

それでも悲壮感などみじんも感じさせず、いつも明るい祖母を見ていると、たとえ贅沢するお金は無くてもそれなりに楽しく老後生活を過ごせるような気がしてくる。

そう感じられるのは、祖母が自分の好きなことに対して素直であり、周りの人間を大切にしてきたからではないだろうか。今の祖母の生活は、彼女の人間性の魅力があってこそなのだ。

 

将来のために今を我慢するのは、近道のようで目的から遠ざかっている

働けなくなった時に備えてお金を蓄えておくことは絶対に必要である。とはいえ、将来のお金にばかり気を取られて今の生活を軽んじるのは間違いだと思う。

 

祖母を見ていて思うのは、高齢になっても生き生きと暮らしていくためには、夢中になれる趣味や家族・友人の存在が欠かせないということだ。

こうしたお金で測ることのできない無形資産のことを『LIFE SHIFT』という本では「活力資産」と説明されている。この活力資産を高齢期になってから積み上げるようとするのは難しい。もちろん、仕事を引退して新しいコミュニティに参加することで親しい友人を見つけられるケースは考えられる。しかし、高齢になってから新しい環境にいきなり飛び入るのはハードルが高そうだし、そもそも現役時代に趣味とか好きなことがない人にとっては、尚のことハードルが高くなるのではないだろうか。

それでも趣味ならまだ自分だけでなんとかできそうなもので、こと家族や友人などの人間関係の話になると、いきなり良くしようとするのはまず無理だろう。

 

活力資産は、一朝一夕にできるものではなく、長い時間をかけてじっくり築いていくものだと思う。とすると、現在の生活だって将来の生活と同じくらい大切だ。むしろ、体力的・精神的にもタフな若年期の時間は、高齢期の時間よりも価値があると言える。いろんなことに好奇心を絶やさず、調べ、学び、体験することがその後の人生を彩る材料となる。好きなことをやっているうちに自然とつながってくる縁もあるはずだ。そうして出会った人との関係をできるだけ大切にする。私生活において、自然に継続して会いたいと思える人と巡り会うことはなかなか少ないと、社会人になって痛感する。

 

また、家族とは死ぬまで一生関係が続いていくものだ。『甘えの構造』という本によると、日本人は「親子以外の人間関係では、それが親しみを増すにつれ遠慮が減じ、疎遠であるほど遠慮は増す」傾向があり、「親子の関係には遠慮がない」という。これを読んだとき、なるほど確かにそうだと納得した。これは言い換えれば、親しい間柄にある人ほど相手を雑に扱ってしまいがちになる、ということかもしれないと反省もした。

家族は最も距離の近い存在である。それで私は家族の誕生日にはささやかな贈り物をしたり、用は無いけどなるべく顔を見せるように心がけている。これらは将来のためにやっているというよりも、日頃の感謝やお祝いの気持ちを素直に示すためにやっていることではあるが、やるのとやらないのとではだいぶ家族間の関係性が違ってくるように思える。こうした当たり前のことを当たり前にやること自体が、活力資産の形成に少しは役立つと考えている。

 

こういうと、結局は将来のために「今」があるという感じがしてしまうが、将来に備えるために今を犠牲にするということとは異なる。活力資産の積み重ねは、我慢ではなく、積極的に今を充実させようと努めることである。充実した「今」が連続していく延長線上に、豊かな将来が待っている。

そう考えると、今を犠牲にすることで将来に備えるという考え方は、近道をしているようで目的地から遠ざかっているのと同じではないだろうか。確かにお金は大切だが貯蓄を第一に考えてしまうと、衣食住に最低限必要なお金以外は、すべて無駄な支出になってしまう。つまり、交際費や趣味にかけるお金などは真っ先に削減対象となる。その結果、お金ばっかり持っていて、使い方の知らない老人が出来上がる。

 

もちろん、価値観は人それぞれだから上に書いたような老人が間違っていると断言するつもりはない。ただ少なくとも私は、そのような高齢期を迎えたいとは思わない。祖母を見て、慎ましいながらも好きなことや好きな人々に囲まれて人生の終盤を迎えたいと思った。そのためにも、少しでも興味があったり好きだと思えることが見つかった時は、そのチャンスを逃さず経験してみて、人生の肥やしにしていきたい。