何もしなかった土日にちょっと罪悪感を抱きながら
土日は外出しないことがすっかり習慣になってしまった。とはいえ、一日中読書や映画を見て家に引きこもっているのがかなり辛くなってきた。
明日からまた仕事が始まる。先週の土日は2日とも外出せずに過ごしていたら、日曜夜の寝つきが悪すぎて翌日の仕事がまったく捗らなかった。今週も同じことになるのが怖かったので、夕方に散歩に出かけた。
行き先は特にない。ただぶらぶらするのもいいなという気がしていたら、そういえば近くの古本屋に欲しい本があるかもしれないと思った。
1番のお気に入りであるBerwickのセミブローグを履いて外に出た。散歩だというのに革靴で歩き廻るというのはTPOをすっかり無視している。
でも、もうまもなく梅雨入りする。雨が続いてしまえば革底のこの靴はしばらくの間履くことができなくなる。だから、履ける時に、履きたい時に履くのがいい。
鏡面磨きはしていないけど、手入れはしているので黒光りしている。ピカピカな靴を履いて外に出るのは気持ちがいい。
ようやく靴擦れに悩まされなくなってきていた。今までは1時間履いたらかかとに激痛が生じるので、泣きそうになりながらも我慢して履いていた。
けど、今はだいぶ足に馴染んできている。インソールが足の形に合わせて沈み込んだからか、かかと周りががっちり支えられている。足元の程よい締め付け感のおかげで、背筋まで自然としゃんとしてくる。
古本屋に欲しい本はなかった。最近は仏教に関心がある。鎌倉時代に書かれた「九相図絵巻」について書かれた本をここ3ヶ月ほど探しているが、どこにも見当たらない。新本を扱っている本屋も5店以上探してみても在庫がない。取り寄せはできるみたいだが、いきなり買うのは気がひける。
何せ死体を庭に打ち捨てて腐敗していく様を描いた絵なのだ。そこから「無常」といった死生観を仏教は読み取るらしい。自分にとっては明らかに背伸びをしている本なので、まずは内容を覗いてみたいと思ってはや3ヶ月が過ぎた。
ちょっと残念な気持ちになりながらもしばらく店内をさまよってみた。するとホリエモンと落合陽一の「10年後の仕事図鑑」という本があった。AIの進化で無くなる仕事、生き残る仕事が書いてあるみたいだ。
パラパラと中身を見ると、馴染みのある職業がAIの進化によって消えるとされている。管理職、弁護士、税理士、公務員、スポーツインストラクターなどなど。そのあたりはなんとなく予想がついていたが、教師や医者、営業職といったものまで挙げられているのには驚いた。対人関係が主な業者は機械に置き換えられないと思っていたのに。
逆に、生き残るとされていたのは職人、観光業、AIを作る人、個人の飲食店。いずれも共通しているのは、価値を生み出せる個性のある人ということのようだ。コアなファンを作れる人がこれからの時代で活躍できる人材らしい。
そしてそのような人材になるためには、好きなことをとことん突き詰めていけばいい、ということが書かれていた。
「好きなこと」か。
自分にも好きなことならいろいろある。革靴、野球、登山、散歩、読書。文章を書くのも好きなのでこうしてブログもやってみたりしている。
しかし、それが他人にとっても価値あるレベルまで突き詰めているかと言われればそんなことはないと思う。世の中には自分よりずっと詳しいマニアやオタクといった人たちがいる。そういう人たちと比べたら、自分なんて全く及ばない。
文章を書くことは好きでも、有益な情報を手短に分かりやすく書くことや、何かを分析して発信する能力はない。
ただ心に浮かんだことを文字にする、そのこと自体を楽しんでいるという感じ。ここまで書いてみても痛感するが、まとまりは皆無だし冗長である。はっきり言って使える文章力とは言い難い。どこまでも自分のための文章であり、お世辞にも他人様の役に立つものではない。
そう思うと、今の自分のままではいずれ時代に飲み込まれてしまう側なのかなという気がしてきて気分が少し暗くなった。しかも、取ろうとして勉強をしている資格もいずれ淘汰される職だと書いてあったし。
店を後にした私は、そんなことを考えながら暗がりの濃くなった外をまた歩き始めていた。