禅的投資で長く穏やかに 「安心立命」
外出自粛が続き、家で本を読むことくらいしかしていない今日この頃。
ある日、家の本を物色していると、就職してから間もないころに買った本が目に留まりました。
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当時は、仕事をするようになってうまくストレスに対処できるようにならないかなーと思い手に取った気がします。また、福井県にある曹洞宗の総本山・永平寺に行ってから、何となく禅に興味がありました。
数年ぶりに再読してみたところ、前回とは違う気づきが生まれました。
それは、「長期投資と禅の考え方は相性が良いのかも?」ということです。
今日はその中でも印象に残った「安心立命」という言葉について書いてみます。
◆長期投資と禅
「長期投資と禅の考え方は相性が良いのかも?」と書いたのは、株価が低迷し含み損が膨らんだときに、禅的な考え方が心理的な支えになるのではないかと感じたからです。
今後数十年と長期投資を続けていけば、保有する資産の含み損が拡大する場面が何度もやってくるはずです。そこでいかにやめることなく投資を続けるかが重要ということは、リーマンショックを乗り越えた先輩方が口をそろえておっしゃっていることですよね。
十分な生活防衛資金があり、リスク管理が適切にできていれば、その時いくら含み損があっても投資方針に影響はないでしょう。その間も積み立てることをやめなければ、いずれ株価が回復したときそれまで以上の利益が生まれるはずだからです。むしろ、株価が下落したときこそ安く仕込めるチャンスと言えます。
ただ、その理屈だけで本当に貫き通せるのか。
そう疑問に思ったのは、頭では分かっているつもりでも感情が作用することがあるかもしれないからです。
私はリーマンショックを経験していませんが、同規模の長くて大きな下落相場がいつかまたくるかもしれません。そのとき資産額が大きくなっていれば、保有する資産の変動額が年収の〇倍以上になることだってありえます。
毎日資産額がみるみるうちに溶けていき、
世の中は景気指標の悪化を報じるニュースばかり。
給料はカットされ、ボーナスがなくなる。自分の周りでも失業や倒産が増えている。
もしかしたら今日にでも解雇の発表があるかもしれないという不安を抱えながら職場へ向かう…
そんな社会全体が暗い雰囲気に包まれ、恐怖心が日に日に増してくるような日常において、「仕込み時のチャンスぜよ!」と攻めの気持ちでいられるほどの強さが私にあるのか。(土佐弁に意味はありません)
いったんそこまで考えてみたとき、もしかしたら恐怖心に呑まれてしまうかもしれないという気がしました。
とはいえ、恐怖心をゼロにするのは不可能です。
ただ、感情の影響力を小さくすることはできるはずです。いわば感情をコントロールするということ。長期投資において難しいのは、この感情のコントロールだともいわれています。
そのための具体的な方法として、「禅の考え方っていいかも?」と思ったわけです。
そして、私には禅の考え方が腑に落ちる部分が多かったのでした。
心がざわついて制御不能になる前に。
波立つ心をうまく鎮め、常に平常心でいられるように。
長期投資を続けていくために禅的思考法がうまくはまったように感じています。
◆安心立命とは?
さて、冒頭で紹介した「安心立命」。
今回は、どんな相場になっても長期投資を続けていこうという覚悟の気持ちを強くする目的でつらつらと書いてみました。
この言葉を辞書で調べてみると、以下のように出ています。
【安心立命(あんしんりつめい)】
心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと。人力のすべてをつくして身を天命にまかせ、いかなるときも他のものに心を動かさないこと。仏教語では「あんじんりゅうめい」「あんじんりゅうみょう」とも読む。
三省堂 新明解四字熟語辞典
また本書の中では、「どこに住み、何をして生きていくのか、自分の受け容れた現実を「天命」ととらえ、言祝ぐ。つまりわざわざ肯定的な言葉を言うことによって、自ら安心を作り出していくこと」と書かれています。
これを私なりに解釈するとこうです。
一度えいっと決断をしてしまえば、あとはそれを愚直に信じてただ身を任せるだけ。
途中でいろいろな出来事があっても、自分の依って立つ場所はここなのだと改めて認識する。
迷ったり動揺したりしたとしても返るべき場所があればいつでも安心できる。
その結果としてどんな結末になったとしても、その時置かれている現状を全面的に肯定してしまうというのが禅的な考え方。
さらに、これを投資の話にあてはめてみます。
市況の悪化で含み損がどんどん膨らみ恐怖心に襲われることがあるかもしれない。
それでも自分は、資本主義の右肩上がりの成長を信じて投資を始めた。
その信念を「天命」としてとらえられれば、あとはそれを実践するだけ。
たとえ市況がどんな動きを見せても、天命を実践することが安心につながる。
「天命」なんて書くといかにも宗教的な感じがしますね。(笑)
でも、私にとっては資本主義の右肩上がりの成長は信仰といっていいレベルのものです。
日本人は、無宗教なせいか「宗教」という言葉に対する警戒心が強いです。それは、オウム真理教による地下鉄サリン事件やイスラム過激派による同時多発テロ事件など、衝撃的な事件が宗教とセットで語られるからだと思います。
でも一方で、宗教には、信仰によって安心感を生む一面もあるのではないでしょうか。
現代よりもずっと不安定だった時代においては、戦争や貧困といった過酷な生活を強いられた人が多かったはずです。そんな現実の中で絶望することなく生きていこうとしたときに宗教は興り、広まったのだと思います。「信じているからいつか報われる」。その思いが目の前にある逆境を跳ね返す原動力になっていたのではないかと思うのです。
信仰の方法は宗派によって様々でしょうが、あらゆる宗教もよりよく生きていこうとする目的そのものは共通しているのではないか。そしてそれを信仰することが、仮に一時的ではあるにせよ、心の安寧につながっていたのではないかと思います。
確かに宗教が原因で争いが生まれ、たくさんの命が失われていることも事実です。でもそれは、何でも宗教のモノサシで測り、それを絶対視するから他の考え方が許せなくなるのです。
だから、私は宗教も使いようだと思っています。よりよく生きるために使ってなんぼのものです。「宗教=ヤバいもの」という考え方は違うかなと思います。用法・用量を守り正しく扱えれば良いものなはずなのです。
実際に役に立ちそうと思えばありがたく使わせていただきましょう。救いの意味とか教義の意味はよく分からないけど、生活の中で何かしら支えとなる力があるならばそれだけで意味があると思います。こんな風に書くと、もはや宗教ではなく思想なのかもしれないけど、細かいことはまあいいか。
ただし、自分の考えを絶対視しないことが大切です。他の人に意見を押し付けたり、耳を貸さないのは原理主義と同じです。次第に過激な行動を取るようになります。
ちなみに、私は特定の宗派の信者というわけではありません。ただ、仏教やキリスト教に興味があるだけです。(笑)
話を今回のテーマである「安心立命」に戻すと、この言葉について考えることで、今後の投資生活における拠り所を再確認することができました。
すなわち、「資本主義の右肩上がりの成長に賭けて、可能な限り積み立て投資を続けていく」ということです。
一度覚悟を決めてしまえば、あとはその信念に身をまかせる。
そしてどんな結果になったとしても「良い結果だった」と完全に肯定してしまう。
それが禅的な考え方を踏まえた投資法、禅的投資なのです。(勝手に命名)
ぐだぐだ書いてきましたが、禅の考え方を通じて「これでいいんだ」と自分の中で納得感を得られたのが何よりの効用だったように思います。
ちなみに、これは私の勝手な解釈なので、本来の禅の考え方とはかなりかけ離れたものだと思います。引用も恣意的です。また、誰にでもあてはまる考え方とも思いません。
ただ、本書にも何度かでてくるのですが、禅は使えるものは何でも使ってしまおうという無節操な一面があるそうです。そういう柔軟なところも禅のいいなと思うところです。だから、私の引用がおかしかったとしても大目に見てください(笑)。また、解釈が違ったとしてもお気になさらず「コイツ、なんか言ってる」とそっとしておいてください。
ただ、本書が自分を見つめなおすきっかけを与えてくれたことには感謝しています。他の禅語にも活かせそうなことがたくさんあったので時間を見つけてまた書いてみます。