こけろうの節約&長期投資ブログ

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20代独身一人暮らし。インデックス投資をやっていますが、基本ほったらかしなので趣味や考えたことの投稿がメインになっています。

年功序列制を慕う気持ちと、諦めと

社員の学び直しが当たり前に行われている会社ならば、努力する人を揶揄する声は出ないのかもしれない。

自己研鑽の取り組みに関するデータによると、日本の社会人は「とくに何もやっていない」が46.3%で、これはアジア各国と比べてみても突出して高い*1。半分近くの人が何もしていないことになるが、私の職場ではこの比率がもっと高いのではないかと思う。

私は入社して数年しか経っていないが、先日ある場面を通じて、社内の悪しき風潮に着実に染まってきていると感じたことがあったので、自戒の意味を込めてここに書いてみようと思う。

 

 

自己研鑽に励む人を揶揄しがちな社内の風潮

50代後半まで転職なしで勤め続ける人の割合が32%*2とされる一方、私の職場では旧来の人事システムが依然として色濃く、定年まで勤め続ける人がほとんどだ。まれに転職する人もいるが、多くは体調不良により退職を余儀なくされる場合である。人事考課で多少不良が続いたとしても、よほどのやらかしをしない限り解雇されることもない。他の会社に比べてかなりぬるま湯な環境であると思う。

こうした職場環境のためか、自己研鑽に励む人は僻みや嘲笑の対象とされる。特に中年くらいの世代にその傾向を強く感じる。飲み会に行っていた頃は、資格取得のための勉強や自主学習をしている人の話になると「あーがんばってるよね(笑)」みたいな反応をよく見た。むしろ「資格なんて持っていても意味ない」「あいつは全然大したことないやつ」といった否定的な声を聞くことの方が多かった。

でもこれからの時代は学び続けなければならない。技術の進歩や産業構造の変わるスピードがとても速く、身につけたスキルはすぐに陳腐化する。こうした言説を本やSNSなどいろいろなところで本当によく見る。そのおかげで上の世代の方々が若かった頃と今とでは、全く違った環境なのだということを何となくだが分かっているつもりだ。だから私は自己研鑽に励む人が悪く言われる場面に出くわすたびに、適当に笑ってその場をやり過ごし、「ただ妬ましいだけなんじゃないのか」と心の中で思っていた。

 

私もしっかり染まっていた

ところが先日、同僚が勤務時間中に自主学習をしているのを見て、「あーはいはい、また意識高いことやっているのね」という嘲笑の気持ちが湧いた。その感情が生まれたのはほんの一瞬で、すぐに(勤務時間中に勉強する是非はともかく)向上心があってえらいなあと思ったのだが、しばらくの間、心の中で引っかかっていた。実際に人の努力を目にした時にいじわるな感情が芽生えたからだ。

学び続けることの必要性を人並みに理解していたつもりであったが、それを当然のこととして意識の根本から変えるのはやはり難しい。この感情が生まれたのはなぜなのかを自分の言葉でしっかり整理しておく必要がある。その原因とは入社して以来、年功序列制にすっかり慣れてきているからだろう。

 

年功序列制を慕う気持ちと諦め

年功序列制が色濃い職場は、横並び意識を高めやすい。最終的に出世できるポストは限られているにしても、年次の近い人たちはほぼ同じペースで昇格していく。少なくともかなり下の世代に追い抜かれるということは生じにくい。今の職場では、あるポストに就く標準的な年齢に対して5歳程度早ければ出世コースに乗っていると判断されるようだが、それくらいの年齢誤差であってもコースから外れた人たちの人事に関する不満は強い。そんな風なので、最近話題のジョブ型雇用などはうちの職場ではもってのほかだろう。

年功序列というシステムが温存されていれば、年齢を重ねるだけで年収は自動的に上がっていく。他の社員と自分を比べて劣等感を感じる場面も少ない。解雇規制は厳格なので業績が悪化し危機的状況になっても、最後は会社がなんとかしてくれるとどこか期待している。待遇の方は決してぜいたくできるほどではないものの、とりあえず一家を養っていくことはできるので転職を考えるほどの不満はない。

だからプライベートな時間を削ってまで自己研鑽に励む必要性を感じない。現在の評価システムが続く限り、仕事以外の時間でがんばったとしても待遇が良くなるわけではないからだ。むしろその努力は無駄にすら思える。そして私も含め多くの人が、ベストではないにしてもベターと思われるこのシステムが今後も続くことを願っている。

 

ところが、このシステムはそう長く続かないかもしれないと薄々気づいている。来る変化に備えるため努力している人を見ると、そう予感せずにはいられない。「自分だけ置いて行かれるのではないか」といった焦りのようなものを感じる。そんな思いが根底にはあるから、努力する人を目にすると、見たくない現実と未来を想起することになる。その不快な感覚を鎮めるためその人を嘲笑する。

同僚の自主学習を目撃したとき、少なくとも私の中では上記のような心理が働いたのを感じた。勤め始めてまだ数年にもかかわらず着実に職場の風潮に染まり始め、人の努力をばかにする気持ちが起きたことに恥ずかしさを覚えた。

 

実は私もひそかに自己研鑽している

一方で私は、現システムが崩壊しても対応していけるように準備を進めている。

私は社会保険労務士の資格の勉強を独学で始め、昨年運良く一発で合格した。勉強を始めたのは、今の職場の将来性に不安があったからだ。この資格が今後どれだけ役に立つかは不明だが、何か一つ手に職をつけられるようなものがあれば、という思いから勉強を始めた。現に勉強してきたことの成果を実感できる場面はけっこう多いので無駄ではなかったと思っている。

もちろん職場関係者にはこのことを話していない。いずれ知られてしまうかもしれないが、自ら進んで僻みや嘲笑の的になる必要はないだろう。それにしても、たとえ一瞬だったとはいえ努力する人に対して負の感情を持ってしまう半面、自分だけはしっかり備えようとしているところには陰湿さを感じる。テスト前に「全然勉強しなかったーやばいー」と言いつつ、高得点を取るやつに似ている。どちらかというと私は勉強したときには勉強したと堂々と言っていたタイプであったが。

 

いいとこ取りを画策するけど…

要するに私は、年功序列制はそのままに、けれどもシステム崩壊にも備えて準備しようと現時点では考えている。私だけでなく同世代の社員たちも同じような考えかもしれない。しかしそんな都合のいい環境がずっと続くだろうか。中年くらいの年齢になったときに雇用環境ががらっと変わり、職を失い転職活動に苦労するといった最悪な未来が待ち受けていはいないか。案外その未来は早く来るかもしれない。でもそうなってしまったら、その時できることをやり尽くすしかない。

努力する人のことを嘲笑したり僻んだりするのは本当にかっこ悪い。それよりもその努力を応援し称え、お互いを高め合えるような態度でありたい。

*1:パーソル総合研究所「APAC就業実態・成長意識調査(2019年)

*2:内閣府「人づくり革命 基本構想 参考資料」「年齢階級別の転職割合」