自粛期間をチャンスに。散歩のススメ
外出自粛が続くGWですが、いかがお過ごしでしょうか。
今日は、散歩のススメについて書いてみます。徒然なるままに〜。
さて、みなさんは普段から近所を散歩していますか?
公共交通機関や車といった移動手段での気晴らしを避けるべき今こそ、近所を散歩するチャンスです。私の場合、たぶん平時に戻れば自宅の周りを散歩する気になどならないでしょう。今この自粛期間を単につらいものにするのではなく、何か楽しい時間にできないかな?と思い散歩を始めました。
今まで3回行った散歩の記録です。
毎回約10kmほど歩いています。
ただ歩き続けるだけでは苦痛以外の何物でもないですよね。そこで、何らかのテーマを持ったり景色を楽しみながら散歩をするだけで、歩いている間の疲労感や時間の流れ方が全く違ってきます。
以下では、歩いている中で興味をもったことについて書いています。「こんな視点で散歩をしてるのか」ということが分かってもらえたら嬉しいです!
神社=缶蹴りの聖地、練習前の草刈りの時間
散歩の行先としておすすめなのが、自分が通った小中高校までの通学路です。普段の生活では絶対に思い出されることのない記憶たちが堰を切るように湧いてきます。幸い、私はいずれも実家から徒歩圏内の場所にあります。
小学生の頃って缶蹴り、ドロケイ、ドッジボールを馬鹿みたいにやりますよね(笑)。特に缶蹴りが大好きで。通学路の途中にあった神社で毎日のようにやっていました。この年になっても知らない神社に行くと「ここなら狛犬の後ろが隠れるのに良さそうだな」とか思います。神社=缶蹴りをするところ、という間違った意識が刷り込まれているのかもしれません。
通学路をたどっていき学校に着くと、そこでも記憶がまざまざとよみがえります。
中学校では野球部の顧問に打撃フォームのことで怒られ走らされたり、校舎内で顧問を見かけたら見なかったことにして逃げたり、それがばれていて部活の時間に怒られまた走らされたり…あれ?走らされたことばかりやないか。くそ、今も嫌いだ。
ところで練習前の掃除の時間の力の入れようが異常でした。掃除というか園芸。部室に鎌があり、笹のような草の刈り取りをしていました。
たいてい私は一番仲の良かった友だちと刈り取り作業をしていました。その時間は当時好きだった女の子のことを話し合う重要な時間でもありました。今は誰かと付き合っているのかな、とかのどうやって告白したらいいかな、とかそんな相談をしながらひたむきに草を刈る。そんな時に意中の女の子たちがグラウンドで外練習をしたり、何かの拍子に姿を見た時はテンション爆上げの二人だったのでした。
久しぶりに学校まで行ってみると、青春時代の思い出が鮮明に思い出されて面白いです。
2000年もの間、そこはずっと沼地であった
散歩は自分の住んでいる地域の歴史を知るきっかけにもなるかもしれません。
歩き回っていると、様々な石碑や土地の説明が書かれている掲示板があります。うちの近くにある田んぼのあたりは、2万年ほど前は海の底だったそうです。そこから徐々に海水がひいて、弥生時代頃から膝の高さくらいある浅い沼地に変わりました。
その後、江戸時代の3代将軍・家光の頃に開拓の指令が出されますが、それまでの間は誰にも顧みられることのない土地だったようです。実に2000年以上、ほったらかしにされていたんですね。そして、用水路の整備など大規模な工事を行った後、実際に田んぼとして活用されるようになったのは8代将軍・吉宗の頃だそうです。家光の時代から吉宗の時代まで100年ほどの時間がかかりました。
こうして歴史的に地域を見直してみると、人の営みのすごさを感じます。沼地を開拓する人は大変だっただろうな。というか沼地を田んぼとして整備するまでに100年もかかる?今の時代で100年規模の事業っていったらとんでもない大計画です。総理大臣何回変わるかな。
まあ、当時は資金とか人手とか技術とかいろんなものが不足していたからでしょうけどね(笑)。今でこそこんなに住人がいるこの地も、昔はどこにでもある森や荒れ地でした。先人たちの苦労があったから今こうして私たちは快適に暮らせている。
そんな100年がかりの大事業によって生まれた田んぼが、徐々に宅地へと変わっています。田んぼをやる人が少なくなっているみたいです。これは日本全国いたるところに見られる問題なのでしょう。担い手がいなくなれば土地を売って宅地にするのはしょうがない。けど少し寂しい気もします。小さい頃は家族で出かけたり、ランニングの場所として使っていたり、学校にも近かったりと思い入れがある土地ですから。なんとかして保存できないものかなあと思います。
注目されないヒーロー「水利施設」
ふだんは憩いの場所となっていることが多い遊水地や貯水池。これらは水利施設と言われます。あまり意識されることのない存在ですが、実際にどんな風に機能するのか調べてみると、これがけっこう楽しい。何かのプロジェクト調査班みたいな気分になれます。
ところで、毎回散歩をする時は友人と二人ででかけています(あ、一緒に鎌で草刈り作業をやっていた人です。)もちろん、密にならないように気を付けています。彼は大学で防災に関する都市計画を学んでいたので、川の治水などに詳しく、散歩をしながら地形や防災設備について解説をしてくれます。
遊水地が近づいてくると、彼が「水門が見たい」と言ったので一緒に見に行きました。そこにあった水門は簡易式のもので、途上国でも同じものが使われているそうです。
その水門の先には遊水地からすぐ隣にある川へとつながっていました。大雨が降った時には水が一気に川へ流れて氾濫しないように、遊水地で一時的に水をためておきます。そして、川の水かさが減ってから水門を開け、少しずつたまった水を流すのだそうです。
なるほど、そんな機能があったとは。私はこれまで単なる花火会場のための広場だと思っていましたが。周りを見渡せば、フットサルをやる人、池で釣りをする人、犬の散歩をする人、読書をする人たちがたくさんいました。この中にも私と同じ程度の認識の人がいるに違いない。
実際に数年前の台風のときは、野球場2個半くらいあるこの遊水地で越水寸前まで水位があがったそうです。これがなかったら周辺一帯の家は床上浸水の大被害を受けていたでしょう。
もしかしたらずっと昔に甚大な洪水被害があったから、この遊水地がつくられたのかもしれません。川を挟んで反対側には調整池もありました。もちろんそこも見に行きました。こうした水利施設の造成までの経緯をたどってみるのも面白いかもしれません。
それにしても遊んでいる人たちの中で、誰も気に留めない水門や調整池を真剣に見ている2人は少々怪しかったかもしれませんね(笑)。
水辺に集まる音楽家たち
散歩をしているとさまざまな楽器を奏でる人たちを見つけます。今まで見てきた奏者たちは、トロンボーン・クラリネット・アルトサックス・トランペット・ウクレレなど。
今まで見てきた奏者たちの共通点。それはみんな水辺にいるということです。水のあるところに音楽あり、です。たまたまかもしれませんが(笑)。たぶん広くて迷惑にならないからでしょうかね?特に、橋の下の空間は音が反響していいみたいです。川に沿って歩いていると橋があるたびに違う楽器の音色が聞こえます。巣穴にこもって鳴いている動物のようでとても愉快。
この時期は外を歩いていると、黄色や白や紫の花たち、新緑の鮮やかな緑、晴れ渡る水色の空、流れる水の音、忙しそうに鳴くひばりの声、おだやかな風が運ぶ土や草のにおいなど、春の陽気を全身で楽しむことができます。
そこに音楽が加わるとますますうきうきとした楽しい気持ちになります。曲になっていなくても、ただ楽器が音を出しているだけで豊かな気持ちになれる気がします。今は、外出自粛で生演奏を聴くことができないのでとてもありがたいです。コロナが収束しまたライブなどに行けるようになった時にも、音楽を続けていてほしいと思いました。
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外出自粛は確かにつらいですが、それでも自粛期間なりの楽しみ方を見出すことが必要だと思います。でないと、ストレスがたまる一方ですよね。
散歩は運動不足の解消だけでなく、住んでいる地域のことを知る良いきっかけにもなります。私は実家にいるのでさまざまな思い出を呼び覚ましに行くことができます。が、育った地域にずっと住んでいる人ばかりではないでしょう。
そんなときは、自粛明けに行ってみたいお店が近くにないか探し歩いてみるといいかもしれません。隠れた名店を見つけることができたときはちょっと通になれた気分になって嬉しいですよね。
お店がなければ、私たちのように地形や歴史を気にしながら歩いてみてはいかがでしょう?万人受けする方法だとは思いませんが(笑)。
まだまだ自粛制限は続くようです。密になることに気をつけながら、上手にストレスを発散して、この危機を乗り越えていきたいものです。
予想以上の長文になってしまいました。ありがとうございました!